パパ育児日記

2016.11.03

頭の中は真っ白だったが自然と臨戦態勢に入っていた|東京パパの育児クロニクル vol.6

脱サラ育児を決行した元広告代理店勤務の海(かい)パパによる育児コラム。

01

「2歳になった途端、一気に会話ができるようになるぞ。」

そうまわりから聞かされていたので、なんとなくではあるがこの時期が子供にとって大切な時期であるということは想像していた。世の中のたくさんの情報を小さな体で受け止め、自分なりに消化して、それをアウトプットしようとする。その形が泣くことだったり、イヤイヤだったりするのだろう。だからこそこの時期が第一次反抗期と言われる所以なのだ。そんな2歳を2ヶ月後に控えた1歳10ヶ月の息子。ある日突然、家からママがいなくなる。その上、多くの産婦人科の病棟は細菌の感染防止のため幼児の面会は、基本NG。よって、息子と妻は限られた日数&時間でしか会えないのである。しかも、2ヶ月間。

その事実は彼にどれだけのインパクトを与えるのだろうか。

妻を病院に送り届けた後も、とにかく頭の中は真っ白だった。もちろん妻の体と新しい命のことは心配だったが、それ以上に息子になんと伝えるか、そしてこれからどうふたりで生活していくかのイメージが掴みきれなかったからだ。しかし驚くことに体は勝手に反応していた。帰宅後すぐに取り掛かったのは家の中の物(主に息子の生活用品)の配置変更だ。まずリビングのど真ん中にオムツ、ティッシュ、ウェットティッシュ、風呂上がり用ボディークリームを入れたダンボールを配置。ダイニングテーブルは食事用としての使用を諦め、卓上に肌着、上下、靴下を1セットとしたものを3セット準備。食事はテレビ前においていたローテーブルに切り替えた。

そして次に冷蔵庫の中をチェック。どんな食材がどれだけあるかを確認しつつフルーツや野菜はすぐ使えるようにカット。肉など冷凍保存がききそうなものはすべて冷凍庫に入れた。要するに今まで(少量だが)あった洒落た演出のインテリアはすべてその用途を変更し、完全に機能性重視のレイアウトに模様替えした。

頭の中は真っ白だったが自然と臨戦態勢に入っていたのだ。ひょっとすると、それこそがこの1年8ヶ月間、自分なりに育児と向かい合ってきた成果だったのかもしれない。しかしそれはそれ。今日からまた新しいチャプターが始まるのだ。息子になんて伝えるか、そのセリフも決められぬまま、保育園に向かった。

02

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海パパ

1980年生まれ。脱サラ育児を決行した帰国子女クリエイティブ・ディレクター。現在は「働く主夫」として育児と仕事の両立に奮闘中。最近第2児が誕生し、長男の時の教訓を生かしつつ東京パパの育児スタイルを模索中。

 
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