パパ育児日記

2016.10.18

親はなぜ運動会で涙するのか?|東京パパの育児クロニクル vol.4

脱サラ育児を決行した元広告代理店勤務の海(かい)パパによる育児コラム。今回のテーマは「運動会で流す涙の訳」。

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我が子の成長を目の当たりにし、感動し、涙する。それは育児をやっていれば毎日のように遭遇するシチュエーションである。中にはそんな状況に身を置かずとも、勝手な妄想の中で子供たちの成長を想像し涙することだってできる人もいるだろう。それが親というものだ。

たとえば仕事中、街中でベビーカートに乗って移動する保育園児たちを見かけると「ああ、うちの子も今この瞬間、こうやって生きているんだろうなあ。」と涙。

少し遅めの昼食をとるために街の定食屋に入る。するとテレビから流れ聞こえてくる「みんなのうた」の再放送。思わず顔を上げた自分に少し笑い、そして涙。

保育園のお迎え時、玄関の手前の窓から部屋を覗き込むと、まだろくに言葉も話せない我が子がお兄さんお姉さんたちにまざり、必死に何かを伝えようとしている。で、涙。

そして運動会だ。

どちらにせよ涙することになる気がするので事前にあれこれ想像してみた。そして気付いた。きっと、僕の涙腺が最大限ゆるむのは、我が子がかけっこで勝って嬉しそうにしている姿より、負けてしまい悔しくて泣いている姿を見たときだろう。これはなぜなのか。

今年92歳になった祖母が僕の息子をはじめて抱いたとき、こう言った。「大変ね、あなた。これから生きなくちゃいけいのだから。」そう、生きることは大変だ。嬉しいことや楽しいことばかりではない。どちらかというと大変なことや思い通りにいかないこと、嫌になってしまうことのほうが多い気がする。

そのことを我が子に伝えたくても、言葉だけではうまく伝えられない。言葉で伝えたところで幼児が「うん、そうだね」とあっさり理解できる内容でもないことはよくわかっている。でもいつかちゃんと伝えたい。この子がこれから起こるであろうたくさんの苦難に直面したとき、崩れてしまわないように。

そんなどうにもならない親としての想いが運動会で流す涙の背景にはある気がする。子供が傷つくところを見たい親はいない。しかし、このまま傷つかず大きくなってもらいたくもない。そんな微妙な親心が、子供たちの繰り広げる死闘を前に、形として現れるのだ。

「頑張れー! 頑張れー!」

たしかに、勝ち負けが全てではない。転んだとしても、それ自体が悪いことではない。大切なのはちゃんと立ち直ること。自分の足でもう一度立つこと。人は傷つくから優しくなれる。傷のない人生に深みは生まれない。

でも本心では「転んでほしくないなあ」と思いながら我が子の出番を待っている僕がいる。

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海パパ

1980年生まれ。脱サラ育児を決行した帰国子女クリエイティブ・ディレクター。
現在は「働く主夫」として育児と仕事の両立に奮闘中。
最近第2児が誕生し、長男の時の教訓を生かしつつ東京パパの育児スタイルを模索中。

 
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